みなさんこんにちは、ひでえぬです。
今週のお題「鬼」に挑戦!!
鬼と言えば、こんな話をお伝えしたことがありましたね。
「鬼」というと、どちらかというと「悪者」のイメージで出てくる場合も多いかと思いますが、(上のHPでは正直どっちかよくわかりませんが)私が最初に思い出したのは
「泣いた赤鬼」
ですね。
この話は有名なので、あらすじは省略しますが、ご存じない、もしくは忘れたという方はWikipediaからどうぞ。
物語は「青鬼がいなくなった」ところで終わります。
子どもの頃は、
青鬼いいやつじゃん
で終わっていたのですが、大人になってこの話を思い返すと、
青鬼はどうなったんだろう?
旅に出たって書いてあるけど、元気なんだろうか?
赤鬼はそれでも人間たちと楽しく暮らしたのだろうか?
という感じで、その後、どうなったか、気になってきます。物語についてもいろいろな解釈ができたりします。
青鬼と再び会うことができたのか。青鬼は赤鬼と会えなくなって後悔していないのか。そもそも青鬼は本当に赤鬼のためを想ってこのような行動を起こしたのか。
そんな風に思ったのは私だけではないらしく、なんとつづきを書いた方がいらっしゃいます。
ここではあえてストーリは書きません。とても考えさせられる作品ですので、ぜひ読んでみてください。
私の感想としては、
赤鬼や青鬼のような、こんな心の美しい人になりたい(が、なかなかなれない)
ということです。
もう1つ思ったことがあります。
放送大学の「心理臨床とイメージ(16)」の中で「心理劇(ロールプレイング)」という授業があるのですが、実際にある小学校で、児童生徒が心理劇を行っている映像が放映されました。*1
「鬼(担任の先生)」に捕まった「村人(児童)」を別の村人が助けに行くという設定で実際にやったところ、最初に捕まった村人は助けられるのですが、鬼が強いせいか、どうしても最低1人は村人が捕まってしまいます。これではらちが明かないと思ったのか、ある児童が「鬼に食べ物をあげて、仲よくしたらどうか」という意見を出し、その案が採用されます。
結局、鬼と村人は仲良くなり、捕まった村人も解放されます。
提案した児童が「泣いた赤鬼」のお話を知っていたかどうかは定かではありませんが、このように「怖い」とか「悪い」という鬼のイメージや先入観にとらわれないで、冷静に判断できるようになりたいですね。
明日は節分。
節分といえば「鬼は外」ですが、地方によっては悪い鬼だけじゃないみたいですよ。
現在、「悪い物」「恐ろしい物」の代名詞として使われることの多い「鬼」という語であるが、例えば、鳥取県伯耆町(旧・日野郡溝口町)では、村を守った「強い物」として鬼を崇めていたり、青森県の岩木山では鬼の善行に感謝して、神社の「神」として鬼を祀っているなど、これらのほかにも日本の各地には鬼を善的に捉え、また、畏敬の念で見ている例が少なくない。節分の豆まきに見られるように、鬼が厄災をもたらすとする信仰も根強いが、まったく逆に、鬼が悪霊を追い払い、人に幸福をもたらしてくれる存在と考えている例も少なからず見られる[2]。
(Wikipedia「鬼」の項より)
では、また。
*1:残念ながら来学期は開講されないこともあり、現時点で放送される予定はないようです