みなさんこんにちは、ひでえぬです。
今日から、3泊4日で九州にお邪魔します。
まずは、羽田空港から、飛行機で鹿児島へ向かいます。
朝の第2ターミナルです。
5時50分くらいに着きました。
思ったよりも多く人がいました。
このあと、保安検査場に向かったのですが、かなり混雑していました。
手荷物検査は久しぶりなので、ちょっとドキドキしながら受けましたが、
無事通過しました。
あとは搭乗ゲート前で待つだけなんですが、これが結構遠くて、早歩き+動く歩道を使っても5分以上かかりました。
かなりはずれの方のゲートだったので、結構すいていました。
ちょうどパソコン用のスペースが空いていたので、そこでノートパソコンを広げて、放送大学の「学習・言語心理学」の印刷教材を見ながら、キーワードを書き写すという作業をしていました。
これ途中まで自宅でやったんですが結構時間がかかりまして、ですが写すだけなのでそんなに頭は使わないから、搭乗前の時間つぶしにはもってこいでした。
ちょうど終わったころに、搭乗手続きが開始され、飛行機に乗りました。
私の席はこのように、翼のすぐわきです。
ちなみに私の席の後ろはいわゆる「非常口座席」で、CAさんが座った方に「非常時には救助のお手伝いをしてもらう」旨の説明をしていました。
私も知らないで1回だけ座ったことがあるのですが、いきなり聞くとびっくりしますよね。
ですがそれ(非常時の手伝い)自体は問題ないのですが、問題なのは
CAさんと真向かいで座る*1
もちろん、CAさんも搭乗中は忙しくて、ずっと座っているわけではないのですが、全く座らないわけではないので、そうなると目のやり場に困ります。
寝ちゃえばいいかと思ったのですが、それはそれで
間抜けな寝顔を見られて恥ずかしい
(考えすぎ)
などと考えちゃうので、今回はあえて外しました。
そんなくだらないことを考えているうちに寝てしまい、起きたらもう鹿児島空港でした。
レンタカーを借りて、
桜島に行く予定でしたが、天気が微妙なので、こちらに行きました。
ここ知覧では、第二次大戦末期、いわゆる特攻のための飛行場が建設されたこともあって、ここから飛び立って亡くなった方が一番多いのだそうです。
こちらは撮影可能区域にあった、零型戦闘機です。大戦終了後に残っていたものが海に沈められましたが、それを引き揚げて復元したものだそうです。
ほかには、若くして亡くなった方の遺品や、最後の手紙などがありました。
辞世の句を残した方もたくさんありました。
親孝行できず申し訳ない、自分は日本を守るために進んで志願したので、自分が死んでも悲しまないでほしいと多くの方が書き残しております。
親孝行のところは本心としても、それ以外のところは本当のところはどうなのか、彼らが守ろうとした日本という国は、今胸を張って立派になりましたといえる国になったのか、いろいろと考えさせられました。
そのあとは、こちらでお昼をいただいてきました。
釜めしは選べるのですが、私はたらこと鮭をチョイスしました。
ごちそうさまでした。
お昼ごろに知覧を出て、鹿児島市内に行き、城山から桜島を眺めて、それからホテルに行く予定でしたが、この後天候が急変しまして、
バケツをひっくり返したような雨
となってしまいました。
桜島はおろか、10m先も見えません。
仕方がないので雨の鹿児島市内をレンタカーでドライブしているうちに、チェックインの時間になったので、クルマを返して、そこから市電に乗ってホテルに向かったのですが、
びしょ濡れ
でございます。
貴重品を入れていたトートバックがご覧のとおり。
ちなみにこちらは今日はいていった山用のパンツですが、これがすぐれもので、
防水が切れていて完全に濡れましたが、
1時間で乾きました。
よかった。
シューズは明日ジョギングで使う予定のこちらのシューズを履いていきました。
雨でずぶぬれになってしまったので、気合で乾かしました。
ソックスは完全に濡れてしまったので、昨日来ていた服と一緒に洗濯しました。
洗濯機と乾燥機を回す時間ができたので、合間にこの記事を書いています。
実は今日の夕食をどうするか決めていません。
それほどおなかがすいていないので、軽く済ませて、明日豪華にするかもしれません。
幸い、今回泊まったホテルは天文館のアーケードの中にあるので、アーケード内のお店ならぬれずに出かけられます。
コンビニも近くにあるので、ここもぬれずに行けます。
どうしようかな?
この続きは、明日お伝えします。
では、また。
*1:私の時はそうでしたが、機体によっては違うかもしれません。