みなさんこんにちは、ひでえぬです。
特別お題「今だから話せること」
に挑戦!!
・・・って言われても、
そんなのねーよ
と思いましたが、こちらの記事を拝読して思い出しました。
私の場合は、習い事ではなくて高校の時に通った「予備校」ですね。
当時は今と違って大学全入時代ではなかった、っていうか受験戦争真っ盛りの時期ですね。
そのせいか私の両親は、「現役で大学に合格するように」と、高校に入ってすぐの段階で私に言っていました。
おそらく、兄が現役の時に大学に合格できず、浪人したのが印象に残ったからかもしれません。
そのかわり、現役合格のためなら投資は惜しまないという考えだったようです。
そこで、高校1年生から、当時大宮にできたばかりのS台予備校に通わせてくれました。
国数英の3科目で、週に3日は通っていました。
私の通っていた高校に通学するのに大宮駅を経由していたので、交通費は新たにかかりませんでしたが、授業料は相当なものだったと思います。
・・・にもかかわらず。
授業はほとんど出ていませんでした。
最初のうちは出ていたのですが、授業も結構レベルが高いし、予習もたくさん必要なので、そのうちめんどくさくなって、行かなくなりました。
正確に言うと、教室までは行きました。
行きましたが、学生証を機械に通すと、その日の授業(たしか1日3コマだったと思います)は全部出席したことになるので、1時間目の授業前にカードを通して、そのまま遊びに行っていました。
行先は、
「大宮中央デパート」
でした。
今は建て替えられて、「さいたま市民会館おおみや」などが入ったビルに様変わりしておりますが、私がS台予備校に通っていた当時は1966年に建てられた6階建てのビルでした。
そこの5階(か6階)にあったゲームセンターで遊んでいました。
それか、一緒にS台に通っていた、中学時代から同じ塾に通っていた、別の学校の同級生(ここでは仮に「A」としましょう。)と一緒にファーストフードでご飯を食べていたりしていました。
この「A」というのが今考えると不思議な人で、勉強はできるのですが、昭和の終わりごろの「ツッパリ」でして、ビーバップハイスクールの仲間トオルに憧れていて、髪型なんかはそっくりでした。
私はどちらかというと地味で目立たない方だったので、なんでこんな組み合わせになったのかわかりませんが、ほかに知り合いがいなかったからなのかよく遊んでいました。
そんな感じで高校2年生まではほとんど予備校に行っていませんでした。
ですが(記録上だけは)ちゃんと出席しているし、予備校が終わったころの時間に帰ってくる(それはその間遊んでいたから)ので、両親は気づかなかったはずです。
で、学校の成績は良くもなく悪くもなくだったんですが、2年生が終わるころになり、
さすがにこれはやばい
と思い、親に頼んだのは
大宮じゃちゃんと勉強できない(すでにこの理由が謎)から、
S台のお茶の水校に行きたい
と頼みました。
両親はちゃんと通っていると思っていた(と思う)ので、OKしてくれました。
交通費は余計にかかるし、時間もかかるので何のメリットがあったのかと思いますが、自分で行ったからにはと、3年生になったらきちんと勉強しました。
そのせいかどうかわかりませんが、当初D判定だった学校にも受かり、そこに通うことになりました。
まあ、大学に入ってから燃え尽きちゃって、最初の2年間は学校にほとんど行ってないんですけどね。
そのあと2年間は気合で単位を取って卒業しました。
だったら最初からいやればいいのにと思いますが、ぎりぎりにならないとやらない性格なんでしょうね。
大人になってかなりたってから、とある高校の教頭先生と、なぜか2人きりで飲む機会があって、場所がたまたま大宮駅前だったこともあって、思い出話としてこの話をしたことがあります。
そしたらその先生は私に言いました。
「その話、ご両親にはしましたか?」
実は今もってしていない(っていうか今更できない)のですが、この返答を聴いて、
さすが教育者だな
と思ったの覚えています。
両親もかなり高齢となりましたが、こういう話って、今からでもした方がいいんですかね?
兄弟にも言ってないんですけど・・・。
みなさんはどう思いますか?
というわけで、今週のお題についてお伝えしました。
では、また。