みなさんこんにちは、ひでえぬです。
今週のお題「人生最大のピンチ」に挑戦!!
ってとうの昔に終わってますけどね。
まあいいか。
ピンチねえ・・・。
いろいろありますが、思い浮かんだのは大学生のときですかね。
大学と言っても、放送大学に入る前に卒業した大学のことです。
受験に向けて勉強した甲斐あって、第一志望の国立大学は落ちましたが、第二志望の私立大学に合格することができました。
模試の合格予想では厳しい評価だったので、合格した時は正直うれしかったです。
が、どうやら大学に入学する時点で燃え尽きてしまったらしく、
大学に入って最初の2年間はほとんど授業に行きませんでした。
授業に行かずに、パチンコ行ったり、バイトしたり。
コンビニで朝晩バイトして、昼間は喫茶店のバイトをしたりしてました。
たまに学校に行くと、
「久しぶりだなー!元気にしてたか?」
と、まるで同窓会のようでした。
在学中なのに。
当然単位は取れず、最初の2年間で取った単位数は1ケタです。
しかも2年生の時は、ノート借りたのに試験の日を間違えました。
卒業するまでには、残りの2年間であと120単位くらいとらなくてはいけません。1学年ごろに最低○単位取らないと留年決定!みたいのはないのはないのがまだましでしたが。
まさにピンチ・・・っていうか無理じゃね?
ですが、ちゃんと4年で卒業しました。
それまでは、テスト前だけ勉強すれば単位が取れるだろうと、なめてかかっていました。
さすがにそれでは無理、というか自分はそれほど要領がよくないことに気づいたので、
とにかく卒業することを最優先に、授業を入れられるだけ入れました。
もちろん、バイトも全部やめました。
大学3年の時は、月曜から金曜まで、朝は1限から5限まで、ほとんど全部の授業を入れていました。
土曜日も入れたいくらいでしたが、土曜日は必修ではない科目しかなかったので止めました。外国語科目も落としたので、再度履修しました。
英語は再履修用のクラスで、仲間同士一緒になると思っていましたが、人数の関係なのか再履修のクラスではなく、一人だけ違う学部の1年生のクラスに入れられました。
明らかにクラスが違うやつがいたので、一人で浮いてましたね。これは結構きつかったです。
語学は1つもとっていなかったこともあって、同じ日に英語とロシア語(第二外国語)がある日があったので、辞書を2冊持って(当時は電子辞書なんて高くて買えなかった)、中学生みたいな鞄をもって学校に行ってました。重かったー。
レポートの締め切りも次々あって時間がなかったので、電車の中で下書きをして、自宅で清書したりしていました。(ちなみに当時は9割以上手書きです。)
そんなわけで、一生懸命勉強したので、大学3年の時は80単位くらいとりました。しかもほとんど手を抜かなかったので、評価は大半がAでした。
残りの40単位は4年生で取りました。ちなみに卒論は書かなくてもよかった(代わりに所定の単位を8単位取ればOK)のも助かりました。
おかげで4年で卒業できました。卒業できるとわかったときはちょっとうれしかったです。就職もできて今に至りますが、あのときあれ以上サボっていたら今頃どうなっていたんだろうと思うときがあります。
ですが、これで、取り返すが付かなくなる前に気合い入れてやればなんとかなるということもわかりました。
他にもピンチはあったかと思いますが、あのときに比べれば・・・と自分を元気づけながらどうにかしてきた気がします。
余談ですが、放送大学に入学するときに、高校卒業以上の学歴を証明するため、大学から卒業証明書を取り寄せました。
久しぶりに自分の成績を見ましたが、あの頃のことが、今となっては懐かしく思い出され、あらためて放送大学に入るからにはきちんと学ぼうと思いました。
ちなみに、卒業証明書には履修した年は書かれていないので、ぱっと見はとても優秀な学生に見えますが、お伝えしたとおりどうしょうもない学生でした。
というわけで、自分は不器用なのはよくわかっているので、放送大学では単位を落とさないよう、なるべく前倒しで学習するようにしています。なので、今は夏休みですがもう2学期の放送授業を視聴しています。
せっかくお金を払ったのに単位とれなかったらもったいないですからね。と言ってもこれは社会人になったからわかることですが。
というわけで、今回は人生最大のピンチについてお伝えしました。
では、また。