みなさんこんにちは、ひでえぬです。
放送大学で現在受講している「アメリカの芸術と文化(19)」の第14回の授業で「ヒップホップ」がテーマとなっています。
私は、ヒップホップミュージックはほとんど聴いたことがないので、いろいろ調べてみました。
Wikipediaによると、「ヒップホップ」と「ヒップホップミュージック」は厳密にいえば同じではないようです。
単に「ヒップホップ」と呼んだ場合、サンプリングや打ち込みのバックトラックに、MCによるラップを乗せた音楽を指すことがあるが、これらはヒップホップ・ミュージックあるいはラップ・ミュージックと呼ぶのが正しい。これに「ブレイクダンス」と「グラフィティ」などを加えたものが本来のヒップホップである。ヒップホップにおいて、ラップ(MC)、DJプレイ、ブレイクダンス、グラフィティは四大要素と呼ばれる。
(以下のHPより引用)
つまり、いわゆるヒップホップミュージック、あるいはラップミュージックというのはヒップホップの1要素であるということですね。
放送授業と印刷教材を見ていて、なんかしっくりこなかったのですが、これで腑に落ちました。
ちなみにラップミュージックもほとんど聴いたことがありません。
ただ・・・もしもこれがそうだというのなら、話は別ですが。(違うと思うけど)
授業の一環なのでまじめに考察すると、サンプリングがほとんどない(っていうか生演奏)から、「ラップ調のなにか」というのが正しいのかもしれません。
お戯れはこれくらいにして、印刷教材をもとにヒップホップの起源を探ってみましょう。
その前に、ヒップホップを語る上で外せないのが「シンセサイザー」という学期ができたことです。これを初期に導入した例として、クラフトワークとYMO(イエローマジックオーケストラ)があげられています。
いかにも「シンセサイザー」という音ですね。
YMOは印刷教材ではこちらの曲が紹介されていました。
こちらはライブバージョンなのでクラフトワークみたいな無機質感よりもライブ感が際立っています。
YMOは小さいころよく聴いた(兄がアルバムを持っていた)から大好きです。ついでにこちらの曲も聴いてください。
これらのグループとヒップホップは直接関係ないようにも聞こえますが、のちにヒップホップの創始者のひとりであるアフリカ・バンバータに影響を与え、機械的なビートにのせたヒップホップサウンドの要因となりました。
サンプリングについては、「著作権上どうなのよ?」という疑問があったのですが、要はこういうことだったんですね。
それは基本的には「持たざるものの」文化だといえる。親や親せきの持っていたレコードの音源を用い、それを再利用して新たなビートを作り出すサンプリングの技術。あるいは街中の壁や地下鉄などに、半ばゲリラ的に「落書き」をしていくグラフィティなどは、既存の文化や芸術にアクセスできないものが身近なものとして利用して始めた文化実践であるといえる。
(参考文献より)
歌詞については「白人社会批判」が主なテーマとして挙げられますが、もともとそうだったわけではなく、最初は地域のコミュニティの集まりの中で始まったものであるため、家族のこととか、貧困のことについてが取り上げられ、そのうちにウケるテーマとして「白人社会批判」が徐々に増えていったようです。
最後に、「アフロ=フューチャリズム」について。
アフリカ系アメリカ人と宇宙がどこをどうしたら結びつくのか。
ここに「機械(=サンプリング)・ロボット」を入れると両者が結びつきます。
「奴隷」を「ロボット」としてとらえることで、アフリカ系アメリカ人が自らを重ね合わせ、自覚し、受け入れつつもそれと「戯れる」ことで、それを「武器」として利用できるのだということです。
また、アフロ=フューチャリズムの特徴として、「古代エジプトと未来」が結びついていますが、これも「近代を省略している」ことに意味があるのです。


つまり、アフリカ系アメリカ人にとっての「近代」は人間中心主義でも何でもないですから。あくまでもヨーロッパにとってのものですからね。
そう考えると、さっき上げた動画で、アース・ウィンド・アンド・ファイアがなんでああいう衣装で歌っていたかが理解できます。
ヒップホップの説明をするつもりが、ほとんど音楽の話になってしまいましたが、昔聴いた音楽について、こうやって背景を考えながらもう一度聞いてみるというのも、新たな発見があっていいですね。
では、また。
参考文献
「ヒップホップのスタンス」 大和田 俊之著 宮本洋一郎・佐藤義明 編著「アメリカの芸術と文化」放送大学教育振興会 2019