みなさんこんにちは、ひでえぬです。
放送大学の佐賀学習センターは、佐賀駅から徒歩10分、今回泊まったホテルからは5,6分で着きました。
こちらの建物の4階に学習センターが入っています。
受付(出欠確認)をしてから教室に入ります。受け付けは通常は9時ごろ(授業開始30分前)から行っているようです。
午前中の2コマでは、第10代佐賀藩主鍋島直正の生涯とその功績について学習しました。
鍋島直正って誰?
と思う方も多いかもしれないので、Wikipediaのリンクを張っておきますが、彼の生涯のアウトラインをたどるだけでも、佐賀藩の特殊性と、なぜ幕末に佐賀藩が登場するのかということはなんとなくわかってきます。
薩長のように幕府と直接戦ったりしたわけではないので、歴史が好きな方でも知らない方が多いと思います。っていうか私も最近まで知りませんでした。
佐賀藩は長崎の警備を幕府から命じられていましたが、警備強化を進めるだけでなく、国を守るには優秀な大砲が必要だということを見抜き、鉄製の大砲を作るために様々な努力を行いました。
攘夷だ開国だと論ずる人は多くても実際にどうしたら攘夷を実行できるのかできないのかについてやって見せた人はそれほど多くありません。そんな直正には維新の志士たちも一目置いていたようです。
彼の功績は、彼自身が行ったことのほかに、佐賀の七賢人と呼ばれるような、多くの優秀な人材を輩出したことです。4コマ目はそのうちの1人である島義勇について学びました。
九州佐賀の人物がなぜ遠く離れた蝦夷地(北海道)の開拓に興味を持ち、実際に行ったのかについて学びました。
余談ですが、当ブログに彼の名前が出たのは今回が初めてではありません。
仙台のお話をしている最中に、なぜかさっぽろテレビ塔の話が出て、その流れで彼の話に触れています。
この時は彼の功績はおろか彼が佐賀藩士だったなんて言うことも知らず、小さいころ習った大友亀太郎という人のほうが良く知っていたようです。
まあ小学生には亀太郎はインパクト強すぎたので、仕方ない面もありますが、ざっくり説明すると、大友亀太郎さんは二宮尊徳の教えを受けて、現在の札幌市の開拓をしていて、大友掘という堀を作りました。それを基準に碁盤の目が作られて現在の札幌のもととなるわけです。
1日目の授業を終えて、夜はおいしいイカとお酒をいただいてからホテルに帰りました。
では、また。