みなさんこんにちは、ひでえぬです。
今日は3月11日です。
ふと思い立って、こちらのブログを拝見しました。
今年も3月11日がやってきた。
我々も気仙沼にやって来た。13年連続で、この日は気仙沼で迎える。
13回忌になる日。
12年ですねーとか、あれから12年ですけどいかがですか?とか、色々聞かれますが。
何と言うか、、10年以降は、何年とかじゃなくて、3月11日ですねっていう感覚が主でしょうか。
前にも書いた気がしますが、特に被災県の方は、時期を表す時に必ず「震災前」「震災後」と言う。震災前だから、12年以上前かぁ…とか。
3月11日、この日を境に、この1年どうだったとか…この先の1年はとか…ある意味、また新しい年になる感覚もある。
12年前の今日、私は埼玉県にいましたが、気仙沼から300㎞離れているにもかかわらず、立って歩けないほどの揺れの中、必死に外に出たのを覚えています。
当時は建物の施設管理を担当していたので、地震の揺れが収まってから、建物の被害を確認しました。
被災地に比べればそれこそ微々たるものでしたが、あちこちに普通では壊れないようなところが損傷していました。
翌日以降も電気が止まったり、ガソリンが買えなかったりと、いろんなことがありました。東北で地震に遭って亡くなった方、大切な方をなくした方にとっては、「なんだそれくらいで」ということだとは思いますが、ふつうに続いていた「当たり前の日常」が、音を立てて崩れたと感じたことは確かです。
当たり前の日常がいかに貴重なもので、それを続けることがいかにものすごいことなのか、身にしみて感じました。
だから、しっかりと伝承していかなければならない。
何でもない日常が続くって、有り難い事なんだと。この日は、そんな事を考える1日になれば良いと思います。
今日あらためて感じたのですが、3月11日に埼玉県にいた我々でも、伝えられることはあるんじゃないかと思いました。
震源からこれだけ遠い地域にも被害があったこと。
いうまでもないかもしれませんが、震源地付近はもっと被害があったこと。
気仙沼、リアスアーク美術館の方が言ってました。
未曾有の災害とか、想定外の被害だったとか言うが、違うと。
東日本大震災クラスの津波は、調べれば以前もあったと。
慶長大津波しかり、明治時代にも昭和初期にも、チリ地震津波の被害も。。
ちゃんと、後世に伝承してないからあんな大きな被害が出てしまったんだと。
そして、いずれまた必ずくる震災・津波に備えられるかが大事な事。
東日本大震災を経験した人がそれを伝えていかないと、また同じ被害が繰り返される。
東北での地震の記録は、文字に書いてあるものでよければ平安時代からあるそうです。
「歴史を学ぶ」という意味はこういうところにもあるんじゃないかと思います。
単に年号を語呂合わせで覚えるのが歴史ではなくて、なぜそうなったのか、そのときと今の状況はどう違うのか、といったことを考えるのが歴史だと思います。
過去の経験にとらわれすぎることはもちろんいけませんが、自分の経験していないことにぶつかったとき、きちんと冷静に判断できるようにするには、過去の経験から学ぶことが大切です。
要はそのバランスが重要なのかもしれません。きちんと考えて判断できるようにするには、いろんなことを学んで視野を広げておくことが大事だと思います。
放送大学で学ぼうと思ったのも、もしかするとそんな思いが後押ししたのかもしれません。
これまで何度かお伝えしているように、明日は立川シティハーフマラソンが開催され、私も参加します。
コロナ禍で中断したことからもわかるように、大会が開催できることは「当たり前」ではなく、とてもありがたいことなんだということが分かります。
明日は、いろんなことに感謝しながら参加したいと思います。
では、また。