みなさんこんにちは、ひでえぬです。
先日、大きなスズメバチの巣を駆除したお話をお伝えしました。
おかげでスズメバチもいなくなり、安心して仕事できるようになったのですが、見物に来た職場の人が口をそろえて言うには
なんで、あんな大きいものがあるのに気付かなかったんだろう?
いわれてみればそうでした。
巣があったところは、上のイラストのような感じで、見る角度によってはスズメバチの巣がほぼ丸見えでした。
しかもそのうちの数人は、以前近くでスズメバチを見かけたとのこと。
でも見つかりませんでした。
で、いろいろ考えたのですが、こういうことではないかと思います。
私たちは、目で見たものをそのまま情報として認識している・・・と思っていますが、実はそうではありません。
目で見たものをもとに、脳がいろいろ考えて、その結果「あれはたぶん○○だろう」と推し量った(推論)結果、「○○」として認識されます。
人間の眼はカメラのような仕組みを持っていますが、カメラがレンズを通して映ったものをすべて写真としてあらわすように、映ったものをすべて認識しているとは限りません。っていうかほんの一部しか認識していません。
この説明だけだとわからないと思うので、例を挙げて説明します。
こちらのページの絵を見てみてください。
正解はわかりましたか?
わからなかった方もいらっしゃったかもしれません。
でも、わかったひともわからなかった人も、正解がわかってからは、隠れた絵が見えてくるようになったのではないでしょうか。
不思議ですね。
つまり、これはこういうことです。
おそらく、最初はなんか黒と白の破片が散らばっているようにしか見えなかったと思います。
「何かが隠れています」といわれて、隠れているものを探そうとすると、人によっては隠れていたものが見えてきます。同じものを見ても、「何かが隠れています」といわれても、何も見えてこない人もいます。
この差はどうして出るのかというと、正解の絵が「見えた」人には、白と黒の模様から、「こことここを組み合わせると○○に見える」というのを見つけることができたのに対し、見えてこない人は、その組み合わせを見つけることができなかったか、見つけても正解のように見えるというように気づかなかったということになります。
なので、仮に正解に気づかなくても、「こことここをこうすると○○に見えるでしょ」と教えてもらうと、それからはそのように見える・・・というかそれにしか見えなくなったりします。
同じ絵を見ているのに、正解を知る前と知った後では、ものの見え方がガラッと変わる。これを、ヘルムホルツという人は、
知覚とは外界を忠実に再現した結果ではなく、感覚情報のパターンから「無意識的な」推論を行った結果である。(放送大学教材「錯覚の科学」(2020)・強調部分はひでえぬが付けました。)
と説明しました。
スズメバチの巣がなかなか見つからなかったのも、これで説明することができます。
スズメバチも利口なので、それほどわかりやすいところには巣を作りません。一方、我々も、通常はスズメバチの巣があると思って周囲を見ているわけではありません。なんとなく見ているだけなのです。なので他の物は知覚できたとしても、誰かが見つけるまでは、そこにあっても、誰もスズメバチの巣に気づかなかったのです。人間の眼がそこにあるものを忠実に再現するのであれば、最初に見た人がすぐに気づいたはずですが、誰も気づかなかったのはそういう理由なのです。
ところが、いったんあることに気づくと、「スズメバチの巣がある」という感覚情報を得ているので、すぐに見つけることができます。実際、私もどこに巣があるかを聞かれて、写真を見せながら「あそこにあるよ」というと、言われた人は自力で見つけられなくてもすぐに見つけるようになりました。
人間は、視覚情報をもとに、「多分こんな感じだろう」と、あて推量しているんですね。
ずいぶんいい加減なような気もしますが、今まで問題にならなかったのは、それが多くの場合では有効な方法だったからです。あて推量だったけど、結果としてそれが正解だったので、それが一番効率的ということになったんですね。
放送大学の「錯覚の科学」の授業では、ここから奥行きをどうやって知覚するかとか、錯視はどのようにして生じるのか・・・なんて話が続くのですが、長くなるのでまたの機会にお伝えします。
では、また。